

普段、こうした季節ごとの"詩"を取り上げた時には自分の言葉を書かないようにしてきたのですが、この"せつぶん"という詩に触れていろんなことを考えてしまいました。
人間は地域の共同体が収穫した大事な豆を投げつけてどのような「鬼」を追い払おうとしているのか?
逆に入ってきて欲しい「福」って何?
そもそもこの"節分"という行事は季節が巡る中で訪れる「立春」「立夏」「立秋」「立冬」という四季の区切り目の前日に行われるものです。
かつての旧暦では立春の時期が1年の始まりにあたったため、春の節分が一番大切にされてきたわけです。
鬼=災厄をもたらすものの象徴
福=無病息災、家内安全
つまり"鬼"という架空の存在が絶対悪であるという考え方ではなく、あくまで「災いのシンボル」として見なしていたとだろうと思えます。
これとは逆に"福"をもたらす存在にはにこやかな表情をしている女性("おかめ"と言う場合も)が描かれることが多いですよね。
もちろんこれも基本的にシンボライズされた意味として表現されたものです。
この"節分"という行事ってまさに現在の日本の姿を表しているように思えてなりません。
追い払おうとしている「悪」とは何?
招き入れようとしている「福」って何?
大がかりで意図的かつ長期間のミスリードによって誤ったイメージや価値観を持たされている人々が多数いるという可能性はないの?
「国民が頑張って取得した財・サービスとしての貴重な"豆"を大量にどんどんどんどんまき散らしてばかりいては当の国民生活が圧迫されてしまうだけじゃん!だからまあある程度で"豆"をまくのは止めておきましょう!そんなことより"豆の価格上昇"の方が人々の生活に直結しているんだから、そっちを優先的に解決しなきゃね」・・・これで実際に全ての"鬼"が退散してくれれば一安心だし、余った分の"豆"まきで本当に福が来てくれたら理想的だけど、もしもこれまで"豆"まきの的にしたことなんかなく予想もしなかった"鬼"どもが正体を現して急に襲ってきた!ら絶対に切り抜けられるという自信を持っていていいんでしょうか・・・?
または大事な"豆"を虚空に放ってまでして招き入れようとした"福"こそが実際は凶悪な存在だったなんてことになったら責任とれる人っているのかなぁ。
小学生みたいなこの(レベル低めの)質問に明確に回答してもらえると嬉しいです。
ぜひコメント欄で教えて下さい。

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以前、拙ブログで紹介した『旬の日本文化』という本に、このような説明がありました。
“ 季節のかわり目(俗に節気といった)には、邪気がしのびこみやすいとして、さまざまな祓い(払い)の行事が発達をみたが、その節気はところによりさまざまあった。よく知られるのが節供であり、五節供(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のほかにも、八朔(八月一日)を節供に数えるところもあった。それに夏越(なごし)(六月晦日)や年越し(十二月晦日)も節気として、祓いをする習俗を伝える。中国伝来のもうひとつの暦法である「二十四節気」にしたがえば、年間には二十三のかわり目があることになる。ということで、四つの節分までをも加えるのは、あまりにも煩瑣であったから省きがちにもなったのだろう。
さらに、仏教の追儺(ついな)の行事が、この節分に重なったことで広く年中行事化をみたのである。”
ということで、あくまで、「厄払い」として今に残る行事が節分です。
選挙の投票は、一人一人の有権者が持つ投票をいう豆を投げる行為かな、なんて思いました。
なんとか、戦争をする国に突っ走ろうとする鬼を退治したいものです。
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by django32002
| 2026-02-04 15:54
| 映画
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Comments(2)

